宣伝会議賞の哲学

宣伝会議賞を通して、コピーライティングのあるべき姿を考えていきます。

青おにはなぜいなくなったのか?       『泣いた赤おに』をめぐる一考察 その1

今日からは数回に分けて、宣伝会議賞とは関係ない話。

 

題材は、『泣いた赤おに』(浜田廣介、1933年)。
道徳の授業の教材としてよく使用されているようで、
あらすじは知っている人も多いかもしれませんが、
後述の「絵本版」のカバーから引用しておきます。

 

 心のやさしい赤おには、村の人たちと なかよくくらしたいと
 おもっていました。友だちの青おには、なんとか その願いを
 かなえてやろうと、悪者のまねをして 赤おにに花をもたせました。

 

さらに、同じくカバーには、こんな紹介もあります。

 

 おにの世界にもある友情のうるわしさを 感動的に描いた ひろすけ童話の代表作。

 

この紹介を持ち出すまでもなく、本作は一般的には、
「無償の友情」の話だと解釈されているようです。

一方で、この解釈に疑問を持っている人もいます。
私もその一人ですが、きっかけになったのが、この本。

 

『人生に希望をくれる12の物語』鴻上尚史講談社、2008年)

 

「無償の友情」説に納得できなかった鴻上さんは、
「どうして、青おにはあんなことをしたのか?」を、
ハルシオン・デイズ』という戯曲にもしています。
そこでは「助けた動機」が中心になっているのですが、
ここでは「なぜいなくなったのか」を中心に考えます。

 

なお、本考察は、以下の2冊を基にしています。

浜田広介童話集』新潮文庫、1953年) (以下、「原作版」と表記)
『ないたあかおに』偕成社、1965年)  (以下、「絵本版」と表記)

原作は、他のいくつかの書籍にも収録あり。
絵本は様々な版があり、文も違いがあるかも。
『12の物語』の章扉の書影が偕成社版なので、
絵本の中では最も標準的と考えてこれを選択。

 

次回は、私の解釈を提示してみます。