宣伝会議賞の哲学

宣伝会議賞を通して、コピーライティングのあるべき姿を考えていきます。

The End of ADream

今回は、このブログの更新を終えるにあたり、
宣伝会議賞への挑戦と、このブログのことを、
簡単ではありますが、総括しておきます。

 

宣伝会議賞に参加することになったきっかけは、
本職の技術文書の翻訳の仕事が減っていた頃に、
何か新しいことを始めようと思ったことでした。

とはいえ、未経験のことを始めるのが苦手な私は、
結局のところ、ことば関係しかできそうになく、
しかも、文学的なものが書けるとはとても思えず、
最後に消去法的に残ったのが宣伝会議賞でした。

が、初参加の第52回の締切までの約2週間で、
中毒状態と言えるほど、はまってしまいました。

なぜあれほどはまってしまったのか考えてみると、
仕事のストレスからの逃避だったのだと思います。

 

翻訳の仕事って、原稿の文章が整理されていないと、
考えれば考えるほどストレスがたまることもあって。
よりよい翻訳をしようと思っていくら考えても、
翻訳では解決できない問題に気付いたりとか。
それでも、何らかの訳文を納品せざるをえない。

生活のためとはいえ、原稿に縛られ納品義務を負い、
自分自身でも納得していない文章を生産する
そういう形でことばを使うことが不本意でした。

フリーランスになる前も含めて数えてみると、
この仕事を始めてからもう20年近くになり、
そんな不満との付き合い方も覚えたつもりが、
ルサンチマン(?)が蓄積していたのでしょう。

 

宣伝会議賞は、そんな私を解放してくれました

自分の意志で参加し、自分の考える力が試され、
当初の想像よりも論理的な思考力も活かせる。

そうして宣伝会議賞に熱中して取り組むうちに、
翻訳の仕事が理不尽なものに思えてきました
なんだか、宗教に目覚めた人みたいですが・・・。

 

が、審査のあり方は私が望むものからは程遠かった
詳しくは、課題分析等を読んでもらいたいのですが、
とにかく、プロのコピーライターやその志望者が、
ここまで考えていないとは思いもよりませんでした

しかも、私はことばの開発の場だと捉えていたけれど、
実際には、出題企業ではなく主催社と応募者と審査員の、
生産の論理に支配されているとしか思えない節もあり。

皮肉なことに、理不尽から逃避したはずの私は、
似た様相の別の理不尽に出会ってしまったのです。

 

そして今、宣伝会議賞とお別れするわけですが、
それでも、得たものも確かにあるのが救いです

まず、自分にも創造的な力があるという発見。
それは、自分が特別だということではなく、
そういう力は誰にでもあるのだと思います。

そして何より、じっくり考えることの楽しさ
初参加の頃に湧いてきたあのエネルギーは、
久々に生きる喜びを感じさせてくれました

 

それから、ブログのことも少し振り返ると・・・。

「チャレンジブログ」落選を機に以前のブログを始め、
さらに自分の色を積極的に出していこうということで、
第55回の応募期間終了後にこのブログを始めました。
それは、私の中では大成功だったと思っています。

ブログに書く過程で思考が深化したり整理されたり
そういうことは、数えきれないほどありました。
また、現ブログを始めてからは、より明確に、
自分が目指す方向性を出すことができました。

このブログのタイトル、宣伝会議賞の哲学』は、
同時に、このブログのタグラインでもありました
少なくとも、私自身にとっては機能しました。
もう一度あの時に戻ってブログをやり直すとしても、
タイトルは、やはり『宣伝会議賞の哲学』しかない。

 

ブログ開始当初に、こんな記事を書いています。

宣伝会議賞の哲学』とは
http://philosophies-of-ska.hatenablog.jp/entry/2017/11/06/180000

この姿勢は、貫くことができたと自負しています。
ただ、「宣哲徒」の仲間を作れなかったことが残念
もし、宣伝会議賞が今後も長く続くのであれば、
いつか将来、新たな「宣哲徒」が生まれますように

 

最後に、読んでくれたひとりひとりに、心から感謝
現在の宣伝会議賞の本流からは外れたブログですし、
実際にアクセス数もぶっちゃけ少なかったのですが、
少数でも読んでくれる人の存在が支えになりました

 

次回はいよいよ、このブログの最後の更新です。
漠然とですが、未来のことを書いてみます。